愛するということ | プチセレブぶっちゃけ生活

愛するということ

私は寂しがり屋。
自分でも自覚症状があるほどの寂しがり屋。
頭の整理がてら色々書いてみようと思う。

私は、
母親が他界してから、
誰も頼れず、一人で生きていかなくてはと片意地張って生きてきた。
母親が他界してからの家庭環境はさほどよくなく、
1人で不自由せずに生きていける環境を自分で作り上げなきゃと必死だった。

今不自由せずに生きていける環境が整ってきて、
違う不安を抱えるようになった。


嬉しいことに
友達は沢山いる。親友もいる。彼氏もいる。
仕事も沢山ある。
他人からみれば、恵まれた環境にいると思う。

でも私には今究極なプライベートのことを相談できる家族がいない。
倒れた時にかけつけてくれる家族はいない。

もちろん、最初は仲良い友達がかけつけてくれるだろう。
でも、毎日の生活を犠牲にしてまでできることではない。

これは、母親が倒れ、闘病生活をしている時に私が感じたことである。
「人には優先順位がある。」ということを。
家族は第一優先事項なんだと。

それは、叔母があと少しの命である今、
また強く感じている。


過去の彼氏で、
私が仕事しすぎで倒れたと聞き、
怒ってくれた人がいた。

「大丈夫?」ではなく、
「何やってんだ!馬鹿!」とすごい剣幕で。
それがすごく嬉しいと感じた自分がいた。

本気で私の心配をしてくれてるんだなっと感じれたことが嬉しかった。

同時にすごくひねくれているなっとその時実感してしまった。

家族の愛情に飢えている子供のよう。


ころころと彼氏を変える理由もそこにあると感じている。

彼の愛情が少しでも他に向くことに常に恐怖心を持っている。
それなら幸せに思えるうちに、自分が悲しまないうちに別れてしまおうと思ってしまう。

最初から一線ひいて付き合っている。

そんな自分が情けなく、悲しくも思うこの頃。

誰にも愛されていないのではないかという不安を持つ自分。
愛したいのに愛しきれない自分。
そして、深い愛に包まれたいという自分。

寂しがりは、これらの思いが表にあらわれたときの症状。
そんな気がする。