別れと節目 | プチセレブぶっちゃけ生活

別れと節目

叔母が2週間ほど前に他界した。
母親が他界してからの10年間
母親代わりとしてかわいがってくれた叔母である。

悲しくてつらくて仕方がなくて、、、
この1ヶ月は、我慢しても考えれば勝手に流れる涙。

でももう、泣いてばかりはいられない。
前を向いて強く生きていこうと決意を新たに再出発。
母のときもそうだったけど、
私が私らしく生きることを二人の母は望んでいる。
そう信じて前を向いて歩いていかなくてはならないと。
やっと落ち着いてきて新たなスタートの意味を込めこの日記を書く気になった。


なぜなら
そんなつらく悲しい日々に私を支えてくれたのはやはり友人だったから。

2度も同じ病気で大事な家族を亡くしてしまうのが悔しくてと泣いたとき、

ある友人は、
「僕は君のことを家族だと思っているよ」と励ましてくれた。


ある友人は何かがあると感じとりドライブに連れてってくれ、
「君がつらいときには、傍にいてあげるから」と。


叔母が危篤で家で涙が止まらなかった夜中、
ある友人は、
「いくらでも付き合うよ!君は私の特別大切な友達だもん。どんとこい。
力になりたい。少しでもなれてたら嬉しい。」と。


ある友人は、
「私の中で君はあまり人に甘えないイメージだから心配なんだよ。
せっかく友達になれたし、頼りないけどもっと君が甘えてくれればいいのにって思う」と。

ある友人は、他界した後、飲みの席で泣いてしまった後のメールで
「形は違えどもいろいろな人が君に支えられ、君を支えたいと思っているよ」と。


みんなに支えられ、私はこの1ヶ月乗り切ったきがする。
だから感謝を込めてこの日記をあげようと思った。

これからもよろしくという意味も込めて。

本当に本当にありがとう。





もう一つそれに伴い起こった出来事。
彼氏との別れ。

彼氏との価値観の違いは付き合う前から明確で、
それをわかってお互い付き合ったと思っていた。


しかし、私の精神状態が最悪の状態の中で、
どんどんと価値観の違いが歪みとなっていったんだと思う。

相乗効果を生みたいと強く思ったおもいとはうらはらに、
マイナスの相乗効果を生むようになってしまった。
これがいつものパワー全開の私なら違った方向に向いたかもしれない。
けどそれを修正するパワーはなかった。

叔母のことでつらいなか、
彼氏のことまで悩む精神力はなく、

別れへとつながってしまった。

今でも彼の働く店には行くし、
彼に飲みに行こうと誘われれば行くと思う。
今は、そう別れられたことはとてもよかったと思っている。



別れはスタート。

別れた彼とは友人としての付き合いのスタート。
そして、もう一方で新しい恋に向けてのスタート。

叔母の病気と死は私のこれからの人生を見つめなおす機会であり、
叔母が他界した今、新しいことを始める人生に向かうスタートラインにたったんだと。


母親が他界したとき、
私は強く生きなくてはと決意し、ガムシャラに生きた10年間だった。
その10年間は間違いじゃなかったと今強く思っているし、母親に感謝している。

今回も「ちゃんと考えて生きろよ」っていうメッセージであり、
節目だったんだとおもい、
これからの10年間もまた、新たに私らしく
悔いのない人生を送るためにスタートしようと決意した。